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7−世界でいちばん幸福な人

ひとりの男が偉大な聖者にたずねた。
「私は裕福で世間的には問題ないのですが、どうしても心が落ち着きません。心の平安を見つけて、幸せを得たいのですが、それにはどうすればよいでしょうか?」
聖者が言った。
「ある人間に見えないものが、ほかの人間にはよく見えるものだ。私はおまえの病を治す方法を知っているが、それは通常の治療法ではない。それでもやってみるか?」
絶望している男は言った。
「どんなことでもする用意はできています」
聖者の助言はこうだった。
「その方法とは、旅に出て、世界でいちばん幸福な人を捜し出すことだ。その人を見つけたなら、彼の着ているシャツをもらって、それを身につけなさい。それがこの病の治療法だ」
男は、その後すぐに、世界でいちばん幸福な人を捜す旅に出た。幸福な人はつぎつぎと見つかったが、彼らは口をそろえたように、こう言った。
「私が幸福なのは事実だが、私より幸福な人がいます」
こうして、長い間、多くの国を旅したあげく、男はついにだれもが「世界でいちばん幸福だ」という人の住む森にたどりついた。
森までくると、森の奥の方から大きな笑い声が響きわたってきた。男は笑い声のする方向へ足をいそがせた。笑い声の主は、森のなかの小さな広場に座っていた。
「世界でいちばん幸福な人というのはあなたですか?」
と男が聞くと、
「そのとおりだ」
と彼は言った。
男は自分自身について話し、旅の目的について説明したあと、
「この病を治すには、あなたのシャツを着ることが必要なのです。どうか、それを与えてください」
と頼んだ。
世界でいちばん幸福な人は、じっと男の顔をみつめて、それから大声で笑いはじめた。彼は、笑って、笑って、笑いつづけた。
笑いがおさまったあとで、男が言った。
「私が真剣に頼んでいるのに笑うなんて、あなたはおかしな人だ」
「そうかもしれない」と幸福な人は言った。「しかし、おまえがちょっとでも注意して見たなら、私がシャツなど着ていないことがわかりそうなものだがね」
なるほどよく見ると、聖者は腰布(ルンギ)をまいているだけだった。
男は、途方に暮れてなげいた。
「それでは、私はどうすればよいのでしょうか?」
すると、世界でいちばん幸福な人が言った。
「どうもする必要はない。達成しがたい何かのために努力することが、おまえの望みを達成するために必要な修行であったのだ。 意をけっして急流に飛び込む人は、自分のなかの驚くべき力を発見して、川を横切ってしまうものだ。おまえの病はすでに治っている」
そう言うと、彼は頭にまいたターバンをほどいて、顔をあらわした。
それは偉大な聖者その人だった。
驚いた男が言った。
「あなたでしたか!  それなら、なぜあのときそう言ってくれなかったのですか?」
聖者は微笑みながら言った。
「おまえには用意ができていなかった。だから、一定の準備が必要だったのだ。その試練を通過するなかで、治療薬がもたらされたというわけだ」


【コメンタリー】
師は探求者の用意ができていないのを見て、体験をつみかさねる旅にいざなう。
そして、その旅は世界をひとまわりして、またスタート地点に戻ったところで完結する。
「青い鳥」をさがして世界中を旅したあげく、「青い鳥」を自分の家のなかに見つけるというメーテルリンクの物語りと同じである。
青い鳥を自分の家のなかに見つけたとき、子供たちは叫ぶ。
「なんだ、これが青い鳥だったのか。世界中を捜しまわったけど、最初から家のなかにいたんだ!」
精神世界の旅も同じような旅になる。
しかし、なおかつ、あなたは自分の足で旅をしなければならない。
そのために、師は「いつか・どこか」で達成する魅惑的な蜃気楼をつくりださなければならない。
ヨガは、チャクラを下から上がっていくにつれて、より崇高な境地が達成されるという精神的(スピリチュアル)な仕掛けをつくる。
禅は「ガチョウは外だ!」と言いながらも、座禅をしたり、作務をしたり、毎日きびしい修行をさせる。
これらはすべて<方便>である。そして、<方便>は究極的にはすべて嘘である。
嘘はいつか嘘だとはっきりわからなければならない。
師を探すのはむずかしいという話をしていた。
その第一の理由は、ほんとうの師の数が少ないことだ。
そして、第二の理由は、師をさがす探求者が、色メガネをかけて見ているからだ。
色メガネをかけていれば、ほんとうの色は見えない。黄色のレンズをとおして見れば、すべてが黄色に見える。
彼は「思い込み」というみずからの条件づけにしたがって、「これは好きだが、これは嫌いだ」、「これは良いが、これは悪い」という判断をくだす。
これが色メガネである。そして、この色を外側のすべてに投影させる。


あなたの世界は、すべてこの投影によって成り立っている。
だから、世界はあなた自身がつくりだしているのである。
惨めさであろうと、怒りであろうと、悲しさであろうと、不安であろうと、それらは実はあなた自身がつくりだしているのだ。
「あなたが世界だ」と覚者は言う。
あなたが自分であなたの世界をつくりだしている。
そこが理解できれば、あなたは世界を変えることができる。
なぜなら、あなたは宇宙のすべてと、親密に、密接にむすびついているからだ。
あなたがほんとうに変われば、それにつながる存在のすべては微妙に影響をうけることになる。そのようにして、あなたが変われば世界が変わる。
そのためには、まず、あなたのかけている色メガネをはずさなければならない。
師をさがし、真理を実現したいと思うのは、単純に言えば、それを知らないからである。「私は無知だ」と自認しているわけだ。
しかし、あなたのなかには、師とはこういうものだという思い込みがある。その思い込みにあわせて師をさがす。そして、それによって正しい師か偽者かを判断することになる。
だが、それで正しい師を見つけることはできない。あなたがくだす判断は百パーセントまちがったものになる。
真理を悟った師は美しいオーラで満ちている、という色メガネをかけている人は、美しいオーラのない人は偽者だという判断をくだす。
至福を達成した人は優雅にふるまう、という色メガネをかけている人は、特定の雰囲気をもつ人以外は目にはいらない。
だが、真理は美しいオーラや顔つきとはなんの関係もない。優雅さと悟りのあいだには、なんのつながりもないのだ。
悟っていない人でも優雅にふるまう人はいる。
真理を実現した人でも、優雅さとは遠くかけ離れた人もいる。
優雅さはなんの基準にもならない。
それにもかかわらず、多くの人はそのようななにかを判断基準にする。
そして、自分にはほんとう師を見わけることができるという自惚れもつ。それが障害になる。
それは、多くのの探求者がおちいる罠である。
それは長い間探求していることから生じる探求者のエゴである。
あなたは「思い込み」という壊れたはかりによって師をはかり、あやまった判断をくだす。それは避けようがない。正しい目をもっていないのだから、これはどうしようもない。
自分ではすべてわかったような気になって、迷いのなかにいつづける愚者の相手などしたくないと思う覚者は、沈黙する。
そんな生意気な者たちでも目覚めさせたいと思う覚者は、演技しなければならない。そして、「師」という役を演じる。
さもなければ、あなたはこの道からはなれていってしまうからだ。
あなたは、師とはこういうものだというイメージをもっている。
師はそれが間違ったイメージだということを百も承知で、それを演じていく。
それは慈悲以外のなにものでもない。
それは疲れる仕事である。こんなことはよほど好きな人でなければやらない。
だから、師は大切にしなければならないのだ。
師は基本的にみなすぐれた役者であり、それぞれ味のある芝居をする。
問題は、偽者も演技するということだ。
実際、彼らのほうが見た目には上手に演技する。だから、ますますわからなくなってしまう。
それではどのようにして本物と偽者を識別するか、ということが大きな問題になる。
だが、困ったことに、それを識別する方法は究極的には皆無である。
だから、状況は絶望的だ。
まず、あなたの思い込みがあるかぎり、ほんとうの覚者を見わけることはできない。
それから、慈悲心によってあなたの色メガネの色にそうようにあらわれるごく少数の師を、あふれかえる偽者、
ペテン師からよりわけるのは不可能に近い。それは、砂浜に落とした一粒の砂糖を見つけだすようなものである。
だから、あなたの目によって、ほんとうの師を見つけだすのはむずかしい。
しかし、存在はそのような理屈によって挫折することはない。
あなたが全存在をかけて「ほんとうの自分とは誰か」を追求していけば、つじつまのあわない矛盾が起こりはじめる。
あなたは、いつかかならず師に出会うだろう。
だから、偽の師たちを恐れる必要はない
それは、あなたが真に成熟するのに必要な一里塚だとも言える。
彼らは、あなたを先に進ませてくれるだろう。
実際問題、あなたは真に価値のあるものをなにひとつ持っていない。


だまされ、すかされ、盗みとられてしまうようなものなど、もともと価値のないようなものばかりだ。どんどんはぎ取られてしまうがいい。
なぜなら、それを恐れてどこにも一歩も出かけなければ、「青い鳥」を見つけることはできないからだ。
あなたは勇気をかきあつめて<急流>という旅のなかに飛び込まなければならない。残りは<急流>が仕事をしてくれる。

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