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23−探求


私は幾多の生にわたって、神を捜し求めていた。
あるとき、はるかかなたに彼の姿を見いだしたことがある。私は全速力でそちらにむかって走った。しかし、そこに着いたときには彼はもはやいなかった。
私は捜しつづけた。無我夢中で進みつづけた。
そして、私はついに一軒の家のまえにたどりついた。門には「神の家」と書かれた表札がかけてあった。
そのとき、はじめて、私は不安にかんじた。突然、恐怖にかられてしまった。そして、足元がガクガクふるえはじめた。
私はおぼつかかない足取りで、階段をのぼった。そして扉をたたこうとした瞬間、ある啓示がひらめいた。
「扉をたたいてはいけない! 」
もし扉をたたいて、神がやってきたらどうなるだろう?――その瞬間、すべてが終わってしまう。このすばらしい旅、聖地巡礼、冒険や体験のかずかず、私の夢、ハートのよろこび、そのすべてが終わってしまうのだ――これは自殺行為だ!
私は靴をぬいで、身体の向きをかえた。そして、音をたてないように静かに階段をおりた。階段の下に着くと、私は後ろを振り返らずに、一目散に駆け出していた。
それ以来、私は何千年ものあいだ走りつづけている。
私はいまでも神を捜している。
彼がどこに住んでいるかはわかっている。だから必要なのは、その場所だけは避けることだ。なぜなら、まちがってそこに行ってしまえば、すべてが終わってしまうからだ。


これは詩集「ギタンジャリ」――歌の捧げもの――でノーベル文学賞を得たラビンドラナート・タゴールによる物語りのひとつだ。
タゴールは、文学青年であったころから、詩作のかたわらこのような短い物語りを書いており、それらは彼自身も出版にかかわっていた「ヒタバーディ」という雑誌に掲載されていた。
彼のショート・ストーリーと呼ばれる物語り群は、一般に短編と呼ばれるようなものよりはるかに短く、なかには1ページに満たないものさえもある。タゴールはその生涯で百ちかいショート・ストーリーを書いているが、彼のショート・ストーリーがその精神的な体験と理解を得て、驚くべきほどの輝きを発っするのは、彼の晩年に書かれたものに多い。
この物語りには、神を捜し求めるという魂の渇望の背後から、いつのまにかマインドが忍びこんで動機のすりかえがおこるという、典型的な落とし穴の構造がはっきりと描かれている。
「神と出会いたい」、「私自身の本来の姿を成就したい」、「真理を知りたい」、言葉はさまざまであっても、魂がその本源とひとつになって真の満足を得たい、と思う心は同じである。
そうして、探求の旅が始まり、そこには目くるめくような冒険と体験の世界があらわれる。
そして、また、シーンと静まりかえった霊妙な至福のひとときがあらわれる。
それらはあなたを驚かすだろう。
それらはあなたをよろこばすだろう。
それらはあなたをさらに遠く「変容の旅」へと誘うだろう。
そうして、あるとき、あなたはいつのまにか、この物語りのなかの<私>と同じことをしている自分自身に気づくときがやってくる。
私は長いあいだ、この物語りを目にするたびに、一種の嫌悪感をかんじていたものだ。なるべく目にしないように避けて通ろうとするのだが、かえって目についてしかたがなかった。
ほんとうはどこに神がいるのかわかっているのに、そこだけ避けて、ほかのあらゆるところを捜しまわっているというタゴールのポイントが、意識の表面にはっきりあらわれてくる、とまではいかなくとも、やはりどこかで「それが真実だ」という小さな声がしていたのだろう。
はるかかなたに輝く一等星をめざして歩んでいるうちは、あらゆる種類の興奮(エキサイトメント)があなたにおとずれる。わくわく、どきどき、きらきら、さらさら・・・、あらゆる種類の感動があなたのものだ。
しかし、それらはすべて「興行」(エンターテインメント)であって、「光明」(エンライトメント)ではない。強烈でうつくしく舞台を照らしだす照明にまどわされているうちは、真の光の明るさに気づくことはできない。なぜなら、真の光明は微妙でなにひとつ要求することなく、ただ静かに微笑んでいるだけだからだ。そこには<興奮>(エキサイトメント)というイベントは存在しない。
だが、マインドは頂上をきわめるという<興奮>をもとめる。そして、マインドという図書館のなかにあるあらゆる資料を比較検討して、最良と思われるものを選択し、獲得のために邁進するのだ。
三年や五年はそれでもよい。外側の世界で得た数倍、数十倍のよろこびと満足を、あなたは内側の世界で味わうことができる。
しかし、十年も、二十年もそのなかに浸っているとしたら、それは酒や麻薬にふけって自分自身を忘れてしまっているのと同じことだ。
なぜなら、外側の「世界」も内側の「世界」も、最終的には「世界」であることに変りはないからだ。
むしろ外側の世界より内側の世界のほうが、より精妙で、よろこびに満ち、言葉で表現することがほとんど不可能なほどうつくしい世界だから、そこから飛び出すことはなおさらむずかしいと言える。
しかし、そのようにして二十年も三十年もそこから抜け出すことができないでいるなら、あなたはこの物語りのなかの主人公と同じである。あなたは神の家がどこにあるか知っていながら、そこだけ避けて探求をつづけている。
神の家は<いま・ここ>にあると知っていながら、なおかつ<いつか・どこか>にある夢のゴールにむかって、自己という鏡を磨きつづけようとしている。あるいは、この変容のプロセスといわれる居心地のよいぬるま湯のなかに埋没して、自己満足にふけっている。
そういうとき、師がいればアメとムチを縦横無尽に駆使しながら、「目覚めよ! 真理は<いま・ここ>にあるのだ。ここだ!ここだ! 千回でも、二千回でも、ここだ! ここだ!」と言うだろう。
「夢の世界に落ち込むな。ガチョウはもう外にいるではないか。おまえはすでに自由だ。未来に延期するな。<いま・ここ>で目覚めよ!」と叫ぶだろう。
最初は捜さなければならない。あなたは探究者にならなければならない。あらゆるところをふみわけて、世界中を旅しなければならない。
しかし、皮肉なことに、捜しているうちはけっして見つからないのだ。あなたはある地点で探究を落とさなければならない。
これは矛盾である。
しかし、存在は広大で豊かであるがゆえに、この矛盾をそのまま矛盾として、なんの問題もなく、あるがままに抱擁している。
それはあなたの理解をはるかに超えている。

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