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22−バグダッドのバラ


アブドル・カディールは、たぐいまれなる師たちのひとりである。
あるとき、カディールはバグダッドにむかって歩いていた。
当時、バグダッドには、すでに多くの師たちが住んでいた。街はもはや飽和点にたっしていた。そのため、スーフィーの神秘家たちは、カディールにメッセージを送ることを決議した。
使者たちが、街の入り口でカディールを待った。彼らは、水で満たされた広口の壺をテーブルの上に置いた。その意味ははっきりしていた。
「バグダッドの容器はもういっぱいで、もはやあなたのためのスペースはない」
というものだ。
カディールは水で満たされた容器を見て、彼らのメッセージを理解した。
そして、そのあと、だまって水の上に一輪のバラの花をうかべた。
容器の水はこぼれることなく、バラはゆうぜんと水の上にうかんでいた。
それは、「バグダッドにいる神秘家たちをいっさい妨害することなく、私のスペースはととのえられる」ということを示唆していた。
その答えが神秘家たちの集会の席にもたらされると、彼らは歓声をあげて祝福をおくった。
「ブラボー! アブドル・カディールはバグダッドのバラだ!」
神秘家たちはみな、彼を迎え入れるために街の入り口まで走った。


十二世紀のバグダッドは満天の星でかがやいている。
多くのスーフィーの師がこの街に住み、真理の歌をたからかに語り、またそれを詩として書きとめた。
多くの弟子たちが師とともに座り、静かに師の言葉に耳をかたむけ、スーフィー独特のズイッキルと呼ばれる呼吸法や旋回瞑想法などを修練していた。
彼らは一般にはダーヴィッシュと呼ばれ、さまざまな修行形態をもっていた。
「スーフィー・ソング」と呼ばれる歌があり、「スーフィー・ダンス」と呼ばれる踊りがある。それらの一部は、ジョージ・グルジェフによって西洋にも紹介された。 それらは、意識の覚醒化のために創造された神秘的な音楽であり、舞踊である。
ダーヴィッシュたちはすべて、このような強烈な技法――ウィルド――の結晶化されたものとして、バラ――ワルド――という言葉を象徴的に用いてきた。
スーフィーのなかでもさまざまな系譜が枝わかれしていくが、このアブドル・カディールはカディリ系統の始祖であり、この物語りのゆえに「バグダッドのバラ」という称号を与えられた師である。
この物語りは、ふたつの点において感動的なまでにうつくしい。
ひとつは、もちろんアブドル・カディールのさりげない応答のなかにある。
水でいっぱいに満たされた広口の壷を街の入口のところに置いて、
「あなたは歓迎されていない。バグダッドはもはやこれ以上スーフィーの師が入り込む余地はない」
とメッセージを送るのもしゃれた遊びだといえる。
だが、花開いた一輪のバラをその水の上に浮かべるという行為が、そのとき、そこで、一瞬のうちに出てくるところが、まさに格調高く、優雅である。この人の花たる由縁があらわれている。
この主要なやりとりのなかに、言葉はいっさい介在しない。
水で満たされた壷があり、その上に大輪のバラの花が浮かべられただけである。
しかし、その一瞬の応答のなかには、言語を絶する覚醒の切り口が示されている。そのさりげなさ、その意外さ、その優雅さ、そのしなやかさ、それでいて的の真ん中を射抜く正確さ、彼の魅力はつねに現実のはたらきのなかに、高次の理解が表現されるところからやってくる。
アブドル・カディールのいくつかの逸話を読むと、私はいつも彼の表現のなかにファッション・デザイナーのような小気味よいセンスがあることに気づく。六十年代、七十年代のイブサンローランやヴァレンティーノなどと同じような新鮮な創造性がある。
まさに、アブドル・カディールは「バグダッドのバラ」である。
それからもうひとつは、バグダッドに住むスーフィーたちの対応がはればれとしているところである。
ひょっとすると、このようなテストは、バグダッドにやってくるあらゆる神秘家たちにたいしてなされていたのかもしれない。
彼らは一見世間に住んでいるようにみえて、その実、真理の世界に生きているのだ。
世間的な理由によるやりとりの背後に、つねに神の顕現がもとめられている。
そして、このカディールのように、目からうろこが落ちるようなすばらしい切り口がもたらされたとき、彼らは歓声をあげて、大輪のバラの花を出迎えに、街の入口まで走り出すのだ。そこには嫌悪とか、嫉妬とかいう感情は皆無だ。
純粋に、素朴に、高次の意識にたいする尊敬と受容がある。

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