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20―種の管理


偉大な王には三人の息子がいた。 王はそのなかのひとりを後継者に選びたかった。 それはむずかしい選択だった。というのも、三人ともそれぞれ正直で勇敢な戦士だったからだ。
王は賢者に助言をもとめた。賢者はひとつの方法を提示した。 王は宮殿に戻って、三人の息子たちを呼び寄せた。それから、花の種のはいった袋を三人にわたして、こう言った。
「私はこれから巡礼の旅に出ようと思う。それはおそらく数年かかるだろう。そして、これはおまえたちにとって、ある種のテストだ。 私が帰ってきたとき、おまえたちはこの種を私に返さなければならない。もっともよくこの種を守ったものが、私の後継者になるだろう」
そして、彼は巡礼の旅に出かけた。
「この種をどうしようか」と最初の息子は考えた。 そして、彼は鉄製の金庫のなかに種をしまいこんだ。なぜなら父が帰ってきたとき、彼は種をそのままの状態で返さなければならないからだ。
しかし、二番目の息子はこう考えた。
「兄のように金庫にしまいこんだら、種は死ぬだろう。死んだ種は種とは言えない」
彼は市場に行って、種を売って金にかえた。
「父が帰ってきたら、市場で新しい種を買ってそれを返せばよい」
そして、三番目の息子は庭のあらゆるところに、その種をばらまいた。
三年後、父が戻ってきた。
その知らせを聞いて、最初の息子は金庫を開いた。 しかし、種はすべて死んで、悪臭をはなっていた。
父が言った。
「なんということだ! これがおまえにやった種なのか?これらは花を咲かせて、すばらしい香りを放つこともできたのに・・・、種は腐臭をはなっているではないか。これは私の種ではない!」
二番目の息子は市場に走って、種を買い、家に帰って、それを父に見せた。
父は言った。
「しかし、これは同じものではない。おまえの考えは最初のよりはましだが、私の望むところまでは達していない」
彼は三番目の息子のところに向かった。
「彼はなにをしただろうか?」
楽しみと不安が心のなかでうずまいていた。 三番目の息子は彼を庭につれていった。そこにはたくさんの草花が、たくさんの花を咲かせていた。
そして、息子が言った。
「これがあなたのくれた種です。用意ができ次第、種を集めて、あなたにお返しします」
王は満足げにうなずいて、言った。
「おまえが私の後継者だ」


種を金庫にしまいこんではならない。それらはいつか死んでしまう。 そして、種を市場で売ろうとしてはならない。なぜなら、種のままでは安く買いたたかれるのがおちだからだ。 種は庭に植えて、水をやり、株分けしながら花として咲かせなければならない。
この物語りで種と言っているのは、実際には、あなたの魂のことだ。 いま、この地球上に生存する人たちのなかで、どれほど多くの人たちが、魂を金庫のなかにしまいこんだままにしているだろうか? そして、どれほど多くの人たちが、魂を世間という市場で安くたたかれながら、売り渡してしまっているだろうか? 10人のうち9人はそうしているだろう。
魂は大切に世話しなければならない。そうすれば成長することができるからだ。
見守ることが、その芽を出させる土壌である。
愛をふりそそぐことが、滋養をあたえる雨となる。
そして、この存在の意志を尊ぶということが、すこやかに成長をうながす太陽だ。そうして、魂はいつか花を咲かせることができる。
少しエソテリックな言い方になるが・・・。
私たちは、100億年ほど昔、神とこんな対話した。 そのとき、神はこう言った――「この種をもっともよく守ったものが地球の後継者だ」。
そして、なにもないところから一ミリ大の宇宙がポンと生まれた。それはとてつもなく熱く、とてつもなく重かった。それから、それはビッグ・バンと呼ばれる大爆発をおこして、いまでも膨張しつづけている。
地球は、最初赤く燃えたぎるマグマであった――それが私たちであった。
そのマグマの表面が冷やされて岩となり、土となった――それが私たちであった。
ある時期、地球上に雨と雷が降り注いだ。雨は大地の塩分を溶かしながら、低い方へ低い方へと流れていった。それが海になった――それが私たちであった。 私たちは海になった。
大地が雨でうるおった結果、草木が生えてきた。海のなかには藻が生えてきた――それが私たちであった。
そして、海のなかにいわゆる生命体が生まれた。 それが私たちの祖先である。私たちそのものである。 魚として生まれ、魚として死んで、恐竜として生まれ、恐竜として死んで、哺乳類として生まれて、哺乳類として死んた。 ネズミのようなものから変容をとげつづけてサルとなり、ついに200万年前に人間として生まれた。
その間、糸の途切れることなく、連綿と変容のプロセスが継続している。 ――それが私たちである。
だが、ここで立ち止まって、少し考えてみよう。 なにもないところから、どのようにして宇宙の素が出てきたのだろうか。
物理学でここを問うことはタブーだ。出てきた後からの展開はだんだんあきらかにされてきていて、それだけでも興味深い。 しかし、無から有が突然なんの脈絡もなく現れるところは説明の仕様がない。そこにはなんのつながりもない。 それ以後は因果の世界であり、現在という結果から過去を見据えていくことによって、その軌跡が説き明かされてくる。 しかし、この宇宙が創造されるまえの無と有とのあいだには、なんの因果関係も見出すことができない。どんな説明も成り立たないのである。
それでは無から有が生まれたとき、無はなくなったのだろうか? 
無がなくなって有があらわれた、というのが一般的な論理であろう。しかし、瞑想する者の洞察はそうは見ない。 無から宇宙が創造されたときから、膨張しつづけている現在にいたるまで、無は消滅することなく依然として存在しつづけるのである。 私たちは夜の静寂のなかで、犬やジャッカルの遠吠えが聞こえてくるとき、静寂がかき消されてしまったとは言わない。闇夜にカラスが鳴こうと、フクロウが騒ごうと、静寂はけっしてなくならないと言うのである。
このけっしてなくならない静寂を見出したとき、はじめて、あなたはあなた自身の魂と対面する。

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