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19−これもまた過ぎ去る


その王国は強い軍事力と広大な領地を有し、王の権力は絶大だった。 王のもとには多くの賢者があつまり、それぞれの領域で働いていた。 これほどの力(パワー)を有するにもかかわらず、ときおり王は理由のない不安と混乱におそわれた。彼は苦しんでいた。
あるとき、王は賢者たちを召集して、言った。
「理由はわからない。が、私はひとつの指輪を手に入れなければならない」
「どのような指輪ですか?」と長老のひとりがたずねた。
「それは、私の気分を安定させる指輪だ」
「どのような安定をお望みですか?」とまた別な長老がたずねた。
「それは私が不幸なときには楽しくさせ、また同じように、幸福なときにそれを見ると悲しくさせるというようなものだ。私の心の均衡をたもつ、そのような指輪が必要だ」
賢者たちはそれぞれ相談したり、瞑想したりして、解決策を見つけようとしたが、なかなか意見の一致は得られなかった。彼らはついに非常に年老いたスーフィーの師をたずねて、助言を乞うた。 こうして、王の要請にこたえるため、ひとつの指輪がつくられた。 その指輪には銘が刻まれてあった。王は指輪を手にすると、満足そうに微笑んだ。
そこにはこう記されてあった。
――これもまた過ぎ去る。


本性は海のようで、愛に満ちている。その愛はけっして変わることなく、一ミリも動くことなく、静かにつねにあなたを見守っている。本性とはそのようなものだ。
しかし、海のなかではあらゆるイベントがおこっている。 いろいろな種類の魚が泳いでいる。 大きな魚もいれば、小さな魚もいる。青い魚もいれば、色彩豊かな熱帯魚もいる。ゆったりと泳いでいるものもあれば、せわしなくあっちへいったり、こっちへいったりしているものもある。 哺乳類の仲間であるクジラやイルカもいて、ときおり酸素を補給するため、水面に浮かび上がってくる。 海底では藻がゆれうごき、貝や珊瑚が生息し、素朴に、素直に、生を謳歌している。
これらはすべてイベントである。 そして、このイベントのすべてを称して「世界」といい、 また、あなたという一匹の魚におこるあらゆるイベントを称して「人生」という。 したがって、「世界」と「人生」は、海のなかでおこるイベントであるという点において、基本的には同じものである。 だから「人生」がつまらないときには「世界」も覇気を失っているし、「世界」が輝いているときには、「人生」もワクワクしている。 それはどちらにせよ客観的なものではない。きわめて主観的なものだ。
人生はプロセスである――それはたえず動いている。 外側から見て止まっているようにみえても、実際に止まっているということはない。 止まるのは肉体のうえに死がやってきたときだけだ。 それ以外は、外側で止まっているように見えても、内側は動いている。 内側が止まっているように見えても、魂の熟成はつづいている。
そして、この動きには法則がある。
それは、ふたつの極のあいだを行ったり来たりする。このふたつの極は通常,陰と陽、プラスとマイナスという言葉で表現される。 「陰きわまればおのずと陽に転じ、陽きわまればおのずと陰に転じる」という言葉があるように、その動きは時計の振り子のように、左に大きく振れてその極限まで行くと、今度は方向を変えて右の極に向かって動いていく。 極限まで行かないで、途中から逆方向へ向かいたいとか、左の方にだけ動いて右方向には行きたくないと思っても、振り子の性質上それは不可能だ。 小さく振れれば小さく行きつ戻りつし、大きく振れれば大きく行きつ戻りつする。
人生も、この法則にもとづいて展開している。したがって時間を経過していくうちに、好きは嫌いに変化し、楽しいは苦しいに変化していく。 「この人を愛している」と思っていても、数日後には「心から憎しみあっている」というようなことがおこりえる。 人の気持ちはアテにならない。アテとフンドシは寝ててもはずれるという言葉どおり、アテははずれ、期待は裏切られる。
この世界のなかで、ほんとうに頼れるものはなにひとつない。 なぜなら、すべては対極にむかって流転しているからだ。
第二の法則は、ものごとはすべてジグザグに進むということだ。けっして一直線に進むということはない。人生は一直線には進まない。 ヒマラヤのトレッキングに行くと、道は左に曲がったり、右に曲がったり、登ったり、降りたり、川をわたったり、村を通り抜けたり、岩場をよじ登ったり、お花畑のなかを歩いたりしながら、じょじょに目的地に近づいていく。 何日もかけて歩いているうちには、晴れたり、くもったり、ときには雨が降ったり、霧がかかったりもする。
人生もまた、うまくいったり、失敗したり、助けたり、助けられたり、気分的に上がったり下がったりしながら、ゆっくりと大きな方向性をもって、じょじょに<意義>というものをあきらかにしてくる。
この物語りは、人生に対する指標が定まらず、無明という闇のなかでもがいている人たちにたいする聖者からのエールである。
「そんなに深刻になってはいけない。苦しみはいつまでもつづくわけではない。これもまた過ぎていく。少し気持ちを休ませて、くつろぎなさい。そして、また旅をつづけるのだ。夜明けはそれほど遠くない」 とはげましている。
「つらい!」という感情の波に飲み込まれているとき、「私はもうダメだ!」という判断(ジャッジ)の嵐にたたきのめされているとき、聖者の叡智はひとすじの光明をもたらしてくれる。もう一歩先に進むための勇気を与えてくれる。 実際のところ、この言葉はブッダの言う「諸行無常」と同じことである。もろもろのイベントは変化しつづけ、永遠にとどまることがない。諸行は無常である、とブッダは言う。 しかし、同じことがスーフィーの師にかかると、もう一歩あなたに踏み込んで、「くよくよするな、これもまた過ぎ去るのだ」という応援歌にかわる。 そして、さらにもう一歩踏み込むと、あなたが有頂天になっているときにも、同じ言葉が適用される。
「浮かれて我を忘れるな、これもまた過ぎ去るのだ」。
よいイベントであろうと、悪いイベントであろうと、それらによってあなたの気分を左右されてはならない。 あなたは気分の奴隷になるのではなく、その主人にならなければならないのだ。 どんな気分もいつかは過ぎ去る。 けっして過ぎ去ることのない真理を見つけるまで、あなたの旅はつづく。

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