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13 魂の歌−だれのために歌うのか?


アクバルは、インドにムガール帝国を樹立した偉大な帝王だ。 王のもとには、「九つの真珠」と呼ばれるすぐれた人々がいたが、そのなかのひとりにタンセンという音楽家がいる。彼がタンブーラを弾きながら歌うとき、聴く人はだれもが深い恍惚境に入りこんだと言われている。
ある日、タンセンはいつものように、アクバル帝のまえで歌っていた。タンセンが歌いおわると、宮廷には音楽の余韻とともに心地よい静寂がただよっていた。
「タンセン、なんとすばらしい音楽だろう! 私はおまえのように歌う人をみたことがない。おまえは最高の歌い手である」とアクバルが言った。
「身にあまる光栄です、王よ。しかし、私は正直に申し上げねばなりますまい――私よりはるかにすぐれた歌い手がいるということを・・・」
「信じられない、タンセン。おまえより上手に歌う人間がいるなんて・・・。それはだれなのだ?」
「私の師で、ハリダスという名前です」
「そんな人がいたのか。私はぜひともハリダスの歌を聴いてみたい」
「師は人のためには歌いません」
「私はアクバル帝王だ。私の命令にそむくことはできまい」
「師はサドウー―世捨て人―です。王といえども、歌わすことはできないでしょう」
「では、どうすればよい? 私はなんとしてもハリダスの歌を聴いてみたいのだ」
「では、まず師の居所を捜してみましょう」
タンセンが人を使ってハリダスの居所を捜させると、ハリダスはヤムナ−川のほとりの小屋にいることがわかった。 近くに住む人たちの話では、ハリダスはほとんど一日中川辺に座っているが、ときおり、真夜中に歌声が聞こえることがあるという。
満月の夜、アクバルとタンセンはふたりだけでハリダスの小屋にむかった。小屋のまわりは葺が高くおいしげり、身を隠すには絶好の場だった。 彼等はじっと待った。 夜が更けていった。満月が高くのぼった。 静けさが深まっていった。まわりにはひとっこ一人いなかった。
そして、ついにハリダスが歌いはじめた。 それは不思議な歌だった。 それは魂の奥の奥にしみわたっていくような歌だった。
アクバルは、声もなく、呆然と、ハリダスの歌を聴いていた。
ハリダスは、月にむかって、川にむかって、闇にむかって、歌っていた。 ときに一弦琴を奏で、ときに踊りながら、歌っていた。
アクバルの眼から涙がとめどなくあふれだしてきて、とまらなかった。 彼等は無言のまま夜を過ごした。 宮廷に戻ってから、アクバルが言った。
「タンセン、私はいままでおまえにまさる歌い手はいないと思っていた。しかし、ハリダスの歌を聴いたいま、おまえは無にひとしい。このちがいは、いったいなんなのだろうか?」
タンセンが静かにこたえた。
「王よ、私は人々のために歌います。それによって富や名声を得ます。私はなにかを得るために歌っているのです。私の師はちがいます。師は静寂のために歌います。至福のために歌います。 私はなにかを得るために、人々にむかって歌います。が、師はなにかをすでに持っているがゆえに、神にむかって歌うのです。 これは決定的なちがいです」


ここに出てくるのは実在した人々であり、アグラの博物館にはこの物語りにかんする記録がいまでも残されているという。
アクバルはインドの歴史に名をのこす偉大な帝王であり、タンセンは当時一世を風靡した音楽家で、現在もタンセン・スクールという独自の流派が存続している。
しかし、ここでもっとも魅力的な人物はハリダスである。 私も、できることなら、彼の歌を聴いてみたいものだ。しかし、このような人が歴史に名をのこすことはまれだ。ハリダスもアクバルがゆえに記録にのこされただけで、これ以外に彼の名前が歴史の表面に出てくることはない。 道をきわめた人は、最後に道そのものを後にのこして消えていってしまうからだ。
中国に弓の名人の話がある。

その若者は弓を射れば百発百中という天才であった。彼は多くの競争相手を制して、ついに王宮の弓の教授になった。 しかし、皇帝は彼をあまり重用しなかった。彼は不満だった。
あるとき、長老のひとりがその理由を教えてくれた。都から遠く離れた山奥に、弓の名人がいる。皇帝の師であったが、世を捨てて山に隠れてしまったのだ。 若者は名人を捜すため、山に入っていった。
ようやくの思いで名人の小屋をさがしあてると、そこにはひとりの老人がただ座っていた。小屋のなかにはゴザが一枚しいてあるだけで、弓も矢も見当たらなかった。 若者の弓を見ても、老人はなんの反応も示さなかった。
「それはなにかね?」 と老人が聞いた。
「これがなんだかわからないのですか? あなたが弓の名人だと聞いてやってきたのに」
「昔、そんなものを見たことがあるような気もする。それでなにをするのかね?」
「獲物を打ち落とします」 と言って、若者は空にむけて弓をひいた。 すると、鳥が地面に落ちてきた。矢は正確に鳥の心臓を射抜いていた。
「つまらんことをする」 とつぶやいて、老人は空を見上げた。 すると、ちょうど通りかかった渡り鳥の一群がぼたぼたと地面に落ちてきた。 鳥たちは一瞬きょとんとした眼で不思議そうに互いを見回していたが、そのうちにまたそこから飛びたった。
若者はひざまずいて老人に教えを乞うた。

名人は、もう弓とはなにかということすら忘れてしまっている。 そして、ただ普通に、あたりまえの日常を生きている。 弓をきわめれば弓をわすれ、歌をきわめれば歌をわすれる。
ハリダスは川のほとりにただ座っている。 なにを為すこともなく、自然の流れに身をまかせている。 彼は静寂と至福のなかで、歌い、踊る。 静寂があふれると歌がうまれ、至福が満ちると踊りはじめる。 彼が歌おうとしているわけではない。彼が踊ろうとしているわけではない。 歌おうとすればはからいがうまれ、踊ろうとすればマインドがうごく。 それらをこえたとき、はじめて人技をこえた世界があらわれる。 それらをこえたとき、はじめて神の世界があらわれるのだ。
ハリダスの歌が聞きたいときには、彼のそばに座って、ただ待つしかない。 いつ歌いだすかはだれにもわからない。ハリダス自身にさえわからない。 行為者はどこにもいない。操縦者(コントローラー)は消えている。 そこには存在のおおいなる流れがあるだけだ。
人は、そのおおいなる流れにふれると魂がゆさぶられる。 アクバルという政治と戦争にあけくれた俗界の王ですら、涙を止めることができなかった。それゆえに、このできごとが記録にのこされたのだ。
ハリダスはサドウー―世捨て人―である。 彼の側からはなにもおこっていない。 歌も、踊りも、沈黙も、至福も、彼にとっては名前の異なったひとつのクリスタルである。同じひとつのハートである。 そこには比較というものもなく、判断(ジャッジ)というものもない。 彼は存在の流れとひとつだ。 そういう人の歌を聞いてみたい。

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